旅の記録

ネパール(ヒマラヤ山脈トレッキングなど)

上海と昆明を経由して、ネパールのカトマンズへ向かいます。
今回は3カ月の時間をかけてネパールのヒマラヤ山脈のトレッキングに行ってきます。
行きは、まず上海で到着した空港と別の空港に乗り換えるという非常にややこしい乗り換えをして、昆明に来ました。上海で別の空港に電車で移動することを当日のその時まで知らなかったので、急遽タクシーで別の空港まで向か会うことに、いきなり余計な出費をしてしまいました。ここ昆明では帰りに一時身動きが取れなくなるピンチにも見舞われましたし、ハプニングの多い航空機移動になりました。
カトマンズの町 カトマンズはネパールの首都 しかし、多くの国の首都と違って高層ビルなどは一切ありません。しかし、所狭しといろいろな店が並ぶ町はとても刺激的で興味深い。
高山病対策のため、ダイアモックスという薬を薬局で購入する。
しかし、のちにこれの副作用がきつかった。
こちらの鐘がいい音がするのです。
カトマンズの登山道具ショップ。いろいろ購入させていただきました。
チベット仏教の文化とヒンドゥー教の文化を共に持つネパールは最高に面白い。
チベット仏教の絵画。一つ一つ手書きで書かれているため、作者の方によって一つ一つ表情が違います。
素敵な絵を探すのも楽しいですね。
夜のカトマンズのダルバール広場 左の狛犬はオス、右の狛犬はメスのようです。
夜のカトマンズは標高が1400mあることもありとても寒いです。
こちらは、ヒンドゥー教でおなじみの牛。牛がいるという事は、シバ神を祀っている寺院だとわかります。
野犬がいるのはアジアでは当たり前の光景です。
中古の本屋に日本語の本がありました。
チベット仏教徒はこちらを一周回すことで一回経典を読んだと同じご利益があるという事で皆さんこの経典をコロコロ回します。
路上で野菜を販売しています。
魚が売られています。
カトマンズからいよいよヒマラヤのエベレスト街道があるルクラへ向かう飛行場へ向かいます。
しかし、飛行機は欠航。これで四日連続の欠航だそうだ。エベレスト街道までの飛行機は飛ぶかどうかすらわからないのが特徴だ。空港は四日間飛行機が飛ぶのを待ち続けた人たちでごったがえしていた。
初日は散々待った挙句、飛行機は飛ばずじまい。でも、ルクラに雲がかかってしまうと飛ぶことができない事情がある以上完全に晴れるのを待ち続けるしかない。
翌日も朝早くから空港に向かう。その都度タクシー代がかかってしまうが仕方がない。
運がいいことに私は二日目にして飛行機に乗ることができた。ただ、まだ油断はできない。フライト中にルクラに雲がかかってしまうとまた、カトマンズに引き返すことになるからだ。そのように引き返してきた人たちも空港にはいたからだ。
滑走路ではエンジンがかからす飛行機をみんなで押しながらエンジンをかける姿もあり、世界一危険な飛行場ともいわれる理由が分かります。
飛行機からのカトマンズの街並み
小型のセスナ機で山の上の町ルクラを目指します。
ルクラの短い滑走路に無事着陸。ルクラの滑走路はとても短いので着陸後撮影地点の壁まであと少しのところで止まります。
ルクラの風景
ヤク(毛の長い現地の牛)と牛のハーフのゾッキョが登山道を歩きます。
キャベツが育てられています。ヒマラヤの山域の野菜は有機無農薬栽培でどれもおいしいです。
肥料はヤクやゾッキョの糞です。
本日の宿はこちらのロッジです。おかわり自由のダルバート(ネパールの国民食)がとても美味しい。
ようやく、登山道からヒマラヤ山脈が見えてきます。今回のトレッキングではエベレスト街道に1カ月滞在することになりました。
雲の向こうにはヒマラヤ山脈
トレッキング二日目 シェルパ族最大の村のナムチェバザールに到着
チベット医療の診療所を見つけました。こちらの丸い球を水やお湯と一緒に飲みます。
この丸い球はヒマラヤの薬草からできている玉でそれぞれ違う薬草からできています。
味は日本の漢方がさらに強力になったような味です。
ナムチェバザールを含むシェルパ族の村々では、チベット仏教が信仰されています。村の人々の顔つきもチベットの人々に似ていてアジア系です。昔中国側のチベットの方から移り住んだ人たちの様です。
ナムチェバザールから見たクスムカングル
タムセルク
アマダブラム
ローツェ(8516m)(世界4位)
エベレスト(8848m)(世界1位)
ナムチェバザールまで登ってきた谷を見る
野生のヤクを発見
角に青い印をつけられたゾッキョ
ヤクの様に毛の長いたぶんゾッキョ
ヒマラヤ山中で食べられるガーリックスープは高山病対策に効果があると言われます。
ナムチェバザールから先に進むとカンテガの姿を見ることができます。
途中のアクセサリーショップでチベット民族のアクセサリーの「ジー」を買いました。お守りの様です。
ヒマラヤ山域では乳白色の川が流れています。
アクセサリーショップ たまたまなのですがエベレスト街道のアクセサリーショップを見回しても一番本格的な見た目の「ジー」を見つけることができました。家に帰って母親にプレゼントしました。
大量のチンゲンサイが畑に生えています。
タンボチェの町の手前のプンキテンガという谷あいの村に来ました。ここからタンボチェまではナムチェバザールに着くのと同じような急騰の昇りの連続になります。高度順応のためにここから一回ナムチェバザールへ戻ります。
アマダブラムが綺麗です。アマダブラムの手前の丘が有名なお祭りが開催される立派な寺院のあるタンボチェです。
美しいリンドウが目につきます。
ダケカンバのような植物 日本のダケカンバよりも少し色が濃いような
ナムチェバザールへ戻る途中のキャンヅマ村でネパールの国鳥のダンフェ(虹雉)を探しました。宿泊先の宿の方がダンフェを探していることを知ってダンフェが飛んできたときに教えてくれました。ダンフェに会えたのはこの時だけです。
ナムチェバザールに戻って高度順応のために1週間滞在しました。
寺院の中に大きなマニ車がありました。この大きさなら1回回せば小さいマニ車を10回回す以上の効果がありそうですね。
ナムチェバザールから見たタムセルク
ナムチェバザールの村で子牛が道に迷っていました。
ナムチェバザールに戻ってから博物館を見学しました
こちらでは子牛達が村を冒険中
ナムチェバザールから標高を上げてシャンボチェを経由してクムジュンとクンデの村に来ました。
ナムチェバザール上の丘に登ると学校があります。外から覗いていると先生が中に入れてくれました。部外者を授業中に中に入れてくれることなんて日本ではないですよね。
イエティの頭部が保存されているクムジュン村でイエティの化石を探しましたが見つからなかったので隣町のクンデまで歩いて行って見ることにしました。農家の方は鍬一本で畑を耕していきます。
昔のシェルパ族がトイレットペーパーの代わりに使った植物です。
トイレも手作り旅行者の排泄物も肥料にリサイクルできます。
クムジュンの宿で昔マカルーに登ったことがあるというお酒大好きのおじさんと知り合いになり、翌日町を案内してもらいました。こちらは、宿の方が作っているドブロク的お酒です。酸味があって美味しい。
翌日はいよいよタンボチェに向かいました。雲の上にコンデリが美しく見えています。
アマダブラムが近くなってきました。
長い登りを終えて、ようやくタンボチェに到着。早速クンブー地方最大のタンボチェゴンパを見学します。
トレッキング街道沿いの人々との出会いもトレッキングの魅力です。
太陽熱の力でお湯を沸かす装置
ペリチェへと向かう橋
中央はロブチェイースト
ペリチェ方面から見るとアマダブラムの形も違って見えます。
タウチェ
トゥクラへ向かう橋
カンテガの東には、マランプーランがひときわ美しく輝いています。
トゥクラ(4590m)に到着しました。
マサラチャイがお気に入りです。
チョラツェとチョラレイク(この氷河湖の奥深くに龍が住むと言われる)(イタリアの研究者が無人の潜水艦を潜らせて発見した)※あるシェルパ曰く この湖には氷が浮いておりとても生き物が住めそうには思えない環境だが生物の逞しさを感じます。
プモリを見ながら下山します。次の目的地はディンボチェ。
ディンボチェ周辺
また見たことのない鳥を発見
寒さに耐えられるようにか、裏には毛がたくさん生えています。
ナムチェバザールから今度はエベレスト街道のメインルートを外れて西のターメへ。
ターメへと向かう道をゾッキョと一緒に歩きます。
夕日に染まるクスムカングル
ターメに到着。美しい村です。
チョーユー(8201m)(世界6位) 遠くにチョーユーを見ることができました。それだけでもターメに来たかいがあります。また、宿のホームステイ先でシェルパ族のお爺さんお婆さんと一緒に暖炉を囲みながら夕食を食べたことも素敵な思い出です。私はこのターメで30歳の誕生日を迎えました。思い出深い場所です。
チベット仏教の世界観は寺院の壁画に描かれています。
シェルパ族が昔から食べているそば粉のクレープとヤクのチーズと青唐辛子のソース
トレッキング街道を離れて川を渡り川の対岸の村に来ました。アジアの多くの国では鳥たちは放し飼いです。だから、卵がおいしいのかな。
カーボネロのような野菜が育っています。
ルクラに向けて帰ります。
ルクラに戻ってきました。この日も飛行機が故障してみんなで押していました。いつ飛行機が飛ぶかわからないのは、行きと同じです。
黒とグレーのカラス
エベレスト街道を歩いてチベット仏教に興味を持ったので、カトマンズから有名なチベット仏教の仏塔があるスワヤンブナートに来ました。この日泊まった部屋では初めて猿に襲われることになりました。猿の迫力がこれほどまでとは考えたこともなかったです。
夜のスワヤンブナート
エベレスト街道で多くのチベット仏教徒の方々にお会いして、チベット仏教に興味を持ったので、チベット仏教寺院を訪れてみることにしました。
こちらはチベット仏教の学校のようでした。中を覗いてみると沢山のチベット仏教の僧侶が出てきました。
カトマンズ郊外にある博物館に行ってきました。
貴重な美術品が収められている建物も立派です。
ネパール最古の仏教寺院であり非常に大切にされているスワヤンブナートを訪れました。こちらの顔の描かれたストゥーパはチベット仏教のシンボルです。その後の地震でこのストゥーパも大きな被害を受けてしまいました。
こちらのストゥーパは、沢山のマニ車がストゥーパの周りを囲んでいます。
カトマンズでたまたま入った古本屋で日本語のチベット仏教生と死の書という本を見つけ購入しました。
かなり分厚い本でしたが、この本がとても興味深く、ネパール旅行の3カ月の間、時間のある時に常に読んでいました。その後のチベット仏教徒の方々との交流によりされにチベット仏教(密教)の奥深さを知ることになりました。
スワヤンブナートを出て、次に訪れたのはボダナート 
仏陀の遺骨が納められたネパール最大のストゥーパには、多くのチベット仏教信者の方々が集まってくる。
このストゥーパの周りには、チベット仏教の学校やカフェ、土産物屋など多くの人々で賑わっている。
人生でここまでひげを伸ばしたのは初めてです。
ボダナートの周りにある、仏教画のお店で曼荼羅を制作してみました。
ネパールではヒンドゥー教とチベット仏教が多く信仰されています。
ヒンドゥー教の寺院を訪れたことがなかったので、人生で初めてヒンドゥー教の寺院を訪れてみました。
今回訪れたパシュパティナートは、1500年以上の歴史を持つネパールのヒンドゥー教最大の聖地。
ガンジス川の上流の川が流れているため、火葬場が隣接されており、亡くなった方の灰は聖なるガンガーに通じるこちらの川に流されます。
私が訪れた時も一人の老人のご遺体を聖なる河、そして地球に還していくところでした。
ヒンドゥー教の寺院の周辺はまさにインドの雰囲気。当時はインドに行ったこともなかったのですが、それでもこれがインドかと思ってしまうようなインドの雰囲気を感じました。ヒンドゥー教はインドで大多数を占める宗教なのでヒンドゥー教のイメージとインドのイメージはとても近いものがあると思います。
インドとは違いヒンドゥー教徒でない私は中に入ることはできませんでしたが、シバ神の乗り物である牛の金色のお尻を見ることができました。
こんなに大きな牛がいるところを見るとこちらはシバ神の寺院です。
パシュパティナートには沢山の猿がいます。
続いて、カトマンズ盆地最古の都市のパタンを訪れました。
まずは、パダンのダルバート広場を散策します。
今思えばネパールのエキゾチック感は凄いものがありますね。
まずは、こちらのレストランでご飯をいただきます。
パタンのダルバール広場から町へ散策へ出かけると、ある素敵なネパール人紳士に声をかけられました。
その方は日本語が達者で日本が好きという事です。今日親戚の結婚式があるので一緒に参加しないかと誘っていただいたので、参加させていただくことにしました。
この様に垣根が低いのも南アジアや東南アジアの特徴のような気がします。
ネパールの結婚式で重要な役割を担っているのはこちらの楽団のメンバーです。
中央の体格のいい楽団長の指示で常にお祝いのメロディーを奏で続けます。
この音楽がとんでもなくパワフルなテンションMAXの音楽で、この音楽が休むことなく夜までなりつづけるネパールの結婚式に近所迷惑という言葉は存在しません。
むしろ、みんな聴いてくれー、結婚式だよーみんな集まれー という感じです。
新郎新婦による結婚式の儀式
新郎新婦を載せた車が楽団員の演奏の爆音とともに街をゆっくり歩く速度で回ります。
こちらで再度お祈りの儀式。
夜はお酒をラッパ飲みして歩きながら、新郎新婦の車と共に町を歩きます。
ろくに正装もできずに結婚式の食事もご馳走になり何から何まで頂いてばかりでしたが、非常に気さくで垣根のない結婚パーティーに参加させていただきとても楽しい思い出になりました。
翌朝のパタンダルバート広場
建築職人の親子が三代にわたって完成させた仏教寺院のマハボータ寺院 
マハボータ寺院には9000もの仏像が彫られているそうです。マハボータ寺院側面
パタンでゆっくり休養できたので、いよいよ次なるトレッキングへ向かいます。
バスで約8時間。アンナプルナの麓の町ポカラに着きました。
こちらは高原地帯のカトマンズと違い、一気に南国の雰囲気になりました。
光も温かく美しい街です。
何とも優雅な朝食 
カトマンズとは雰囲気が違います。
町からは大いなる神の山、マチャプチャレが見えています。ヴィシュヌ神が住むこちらの山は今だ未踏峰です。永遠の未踏峰であってほしい気がします。
ポカラの湖ではボートを漕いで湖の散策ができました。
わかりますでしょうか、夕日に照らされているのは雲ではありません。
ヒマラヤ山脈のアンナプルナⅡとその周辺の山です。
ポカラ(標高800m)の町からの標高差は、驚愕の7000m以上 真ん中右のアンナプルナⅡの標高は7937mです。
雲のような場所に山が見える町など、世界中を探してもそう多くはないのではないでしょうか。
今回はアンナプルナやマチャプチャレに囲まれた聖地アンナプルナサンクチュアリ(アンナプルナベースキャンプ)へ向かいます。
エベレスト街道との違いは、スタート地点の標高が低いので、登山中は熱帯の森の中を抜けていきます。
気温も高く暑いくらいです。
エベレスト街道には多くのシェルパ族が暮らしていましたが、こちらのアンナプルナ山群の南斜面にはグルン族と言われる民族が住んでいます。
シェルパ族とは違う文化を持ち、生活スタイルも違います。
グルン族は干し草を山のように積み重ねている光景をよく目にします。
シェルパ族は、ヤクと牛を掛け合わせたゾッキョを飼っていましたが、こちらではゾッキョもヤクも見ることはありませんでした。代わりに、水牛と山羊が飼われています。
綺麗に積まれた干し草の山
収穫されたかぼちゃ
美しいアンナプルナⅡ(7937m) 主峰のアンナプルナⅠ(8091m)はアンナプルナサンクチュアリまで行かないと見ることができません。
グルン族の方が穀物を干しています。
遠くにアンナプルナサウスとヒウンチュリ(7219m)が見えてきました。
この日お昼ご飯を頂いたレストランでも屋根の上で穀物を干していました。
ここで食べたジャガイモは人生で食べたジャガイモの中で一番美味しいジャガイモでした。
こちらの農家さんのレストランだけに言えたことではなくて、ともかく、ヒマラヤのトレッキング街道のジャガイモは美味しいです。有機無農薬、自家採取と三拍子そろっているだけでなく、高知栽培というのも影響しているのでしょうか。
夕日にあたるアンナプルナサウスとヒウンチュリ
道を横切る羊の群れ
途中川を渡りながら道を進みます。
深い谷に滝が流れています。アンナプルナのトレッキング街道とエベレストのトレッキング街道の違いとして、アンナプルナ街道は途中に温泉があるという嬉しいご褒美があるのです。標高が高くなって寒くなってくるとなかなかトレッキング街道沿いの水シャワーが浴びれなくなってくるのでとてもうれしい限りです。
ニワトリをこうやって背負って運ぶんですね。
いよいよ、マチャプチャレが近くなってきました。気温も下がって道には雪が積もり始めました。
アイゼンがありませんでしたが、ぎりぎり歩ける範囲でした。
宿を出ると朝日がちょうどヒマラヤの峰から登るところでした。
極寒のマチャプチャレベースキャンプを出発してようやく到着しました。360度ヒマラヤの高峰に囲まれたアンナプルナサンクチュアリです。
写真はアンナプルナⅢです。
右がマチャプチャレです。
ようやく見ることができました。アンナプルナ主峰(8091m)長大な氷河の先の堂々たる姿はまさに主峰。左上から斜めに走るイエローバンドが美しい。写真ではスケール感が伝わりづらいですが、撮影地点から頂上に向かって壁が4000mせり上がっています。
ずっと眺めながら歩いてきたアンナプルナサウスを内側から見ることができました。
氷河の壁はスケール感が大きすぎて高さが分かりませんが100m位あるように感じました。
アンナプルナに生えている草も防寒対策のためか全身にフサフサとした毛をはやしているものもいます。
マチャプチャレを眺めながら道を戻ります。
グルン族の村に戻ってきました、水牛が日に当たって休んでいます。
こちらは雄のニワトリ
夕日に輝くマチャプチャレ
ポカラからのアンナプルナⅡ
アンナプルナサンクチュアリからポカラに戻った時はちょうど1月1日
町中でお正月のセレモニーをやっていました。
ポカラの中心地の道が歩行者天国の様になり、多くの人で溢れていました。
カトマンズに戻ってきました。
やはり、トレッキングが楽しいという事で、続けざまにランタントレッキングへ出発しました。
しかし、訳あって向かう途中で帰ってきました。
そうこうしているうちに、ネパール人の知り合いにカトマンズで再会し、彼の家を訪問しました。
結婚して子供が生まれたばかりの家族でした。
彼の家の周辺の景色 彼の家からカトマンズへ帰ってからは、
チベットのシンギングボウルのヒーリングを体験したりしました。
この音の体験は極めて奥深い瞑想的響きで音の世界にここまで奥深いものを感じさせるものがあるのかという感動がありました。
ランタントレッキングをあきらめたものの、やはりヒマラヤが見たいと思い、カトマンズから車で移動しナガルコットの丘にやってきました。
ネパール的には丘なのでしょうけれども、標高2100mのナガルコットは日本的には立派な山です。
ナガルコットは村になっており、遠くヒマラヤを見渡すことができます。
ナガルコットから見渡せるヒマラヤ山脈はとても広大で、世界の屋根と言われるのも頷ける光景が広がっています。
このナガルコットで一人の僧侶と知り合うことになりました。
日本語が堪能なその僧侶は、バクタプルに普段は滞在しているそうで、バクタプルでチベット仏教についていろいろと教えてくれるという。
そして、ここからバクタプルでのチベット仏教勉強会が始まりました。
この僧侶の方と同じ宿に泊まり朝晩、チベット仏教のお話を聞く機会を得ることができました。
そうして、私はカトマンズ盆地の東にある古代ネワール人の都市バクタプルにやってきました。
水場で女性たちが洗濯をしています。
ネパールの方々の多くは手洗いで洗濯をしています。
シェルパ族の村のナムチェバザールでも川で女性たちが手洗いで洗濯をしていました
それをみて私も日本に帰国してからすべての洗濯物を手洗いで洗うことにしました。
それは、家に洗濯機がなかったというのが理由ではあるのですが、ネパールの方々の生活を自分も肌で感じたかったという事もあります。そのような生活を1年続けて思ったことは、仕事から夜10時頃帰って、毎日1時間洗濯ものを手洗いすることはなかなかハードな事でした。
今では洗濯機のありがたさが心にしみています。
まずやってきたのは、バクタプルの中心ダルバール広場
バクタプルという町は昔ながらの雰囲気の残る素晴らしい街です。
こちらの寺院には毎年生贄がささげられると聞きました。
バクタプルには「王のヨーグルト」というものがあります。
こちらがバクタプル名物のヨーグルトです。陶器の中に入っているのも特徴的です。
こちらの両サイドの像は上の段のものほど力が強いとか。犬の上は人、人の上は馬、馬の上はサイ、サイの上は?
バクタプルの町からは遠く山々が見えています。
夜のバクタプル
バクタプルは陶器でも有名なようです
チベット仏教についていろいろと教えてくれた方は、この後インドのシッキムに行くという事でした。
そこで、さらにいろいろ勉強しようと誘ってくれましたが、3カ月という長い間日本を離れていたので、今度は日本で仕事をしたくなり、帰国することにしました。
カトマンズではこの旅で最大の出来事が起こりました。
カトマンズ市内のあるインド占星術の占い師さんの所を訪れた時です。
半日かけてわたしのことを占ってくれたその占い師の方はもはや完全に超能力者の域に達している方でした。
私の過去について知っているだけでなく、私が過去にどんなことを考えて生きてきたかも見事に知っているのです。それは私の家族の事についてさえわかるという、ここまでの神秘的な経験は今までなかなかしたことがなかったので、私の人生において重要な一日になりました。精神世界、神秘的な世界の奥深さを身をもって体験することができました。

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